看取りは不要

 今日も昨日に引き続いて親父の死にまつわるネタになりますが、今日のテーマは看取りについてです。昨日の記事で病院に入院したところまで書きましたので、今日は病院での処方に関することを書いて行きます。入院してほどなくしてから主治医から電話があり、現在の病状の説明と今後の治療についてどういう方針で行っていくかを確認されましたが、とにかく延命治療は望まないということを伝えました。その数日後の電話で自力で食べることが困難な状態になっているので鼻からチューブを入れて栄養補給したほうがいいと思われるがどうしますか?と聞いてきた。電話口でどうしようかと思案していると、主治医がするんだったら今しないと後からしても意味がない(効果がない)と言うので、じゃあそうしてくださいと回答したがこれが正しかったのかどうかは分からない。自分としてはこの程度なら延命治療とまでは言えないだろうという判断だったが、苦しい目をさせてしまった可能性があるね。で、入院してから10日目の朝病院から電話があって、危篤状態と言えるぐらいなので生きてるうちに一度会われた方がいいと思いますが・・・とのことだった。私も仮に住んでいる地域の病院だったらすぐに駆け付けることもできただろうが、奈良と福岡では「はい、じゃあすぐに向かいます。」とは言えない。それは単に距離の問題だけではない。母親の時もそうだったが、病院へ駆けつけたはいいが、その直後に死んだらすぐにまた葬儀の喪服を取りに戻って来なければならない。そんなわけで今回どうしようか迷っていたが、とりあえず病院には夕方には着くようにしますと答えておいたが、そう答えた後もどうしようかと迷っていた。そうこうしていると病院から電話があり、先ほど心停止しましたと告げられた。これで決断できて病院には「今日はそちらへ行きません、遺体は葬儀社に引き取りに行かせます。」と答えておいた。世間では「親の死に目に会えなくて・・・」と残念がる様子がドラマなどでもよく見られるが、私はその気持ちにはならない。母親の時もそうだったが、死ぬ間際なんて意識があるのかないのか分からないぐらい混濁状態になっていて会話なんて不可能なんだから会ってどうこうできるものではない。であれば無理して死に目に会うこともないではないかと思うのだが、こんな考え方をするのは私だけか? おかげで今回は母親の時より1往復分交通費が掛からなくて済んだよ。世間の多くの人は親の死に目に会わないなんて薄情だと言うかもしれないが、私はその考え方のほうがおかしいんじゃないのかと思うのである。そんな同調圧力には屈しないでいい、自分が合理的だと思うなら自分のやり方で進めればいいだけの話だ。これ以上書くと長くなるので今日はこれで終わりにするが、まあ言いたいことは書いたつもりだ。ではまたのう。


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