安倍元総理の国葬問題はいまだにゴタゴタが収まらずこのままなだれ込む様相を呈しているが、まあこうなるのもやむを得ない面は多分にあると思う。国葬の基準があいまいで必ずやらなければならないというものではないのだから一定数の反対派が出て来るのは当然である。保守思想の私でも今回の国葬に関しては別にどうでもよく、「やりたけりゃやれば?」ぐらいで、やるべきだなんていう思いはまったくない。私でさえこんなだから左巻きの人たちからしたら国葬?馬鹿なこと言うな!であろう。だから反対する人のほうが多いというのもうなずけるし、おかしいとも思わない。ただ反対だからと言ってデモまでするのは気が知れない。今回の国葬に限らないのだが、何かに反対するのにデモをするという行為を私は受け入れることはできないのである。私はデモに参加している人たちを見るたびに、仕事はしなくてもいいんだろうか?有休を取得申請したのだろうか?家事はしなくていいんだろうか?とかつい考えてしまう。他人のことなどほっとけばいいのに気になるのである。私は今仕事もせずに家にずっといる超暇人だが、何かに反対するとしてもデモに参加するなんて気は全く起きない。デモに参加するぐらいなら家でトレードしてるほうがよっぽどいい。デモなんかしなくても世間に訴える手段は他にいくらでもあるんじゃないの?ネットやSNSが発達した今の時代。その方が効率的なような気がするけどな。
1年経ってオリンピック関連の問題が湧き出てきた。まあこの問題もそんなことぐらい裏では当たり前だのクラッカーである。五輪が清廉潔白に行われると考えるほうがどうかしてる。だから私は前からオリンピックなんか無くしてしまえと言っている。無くせないのなら間違っても招致などすべきでない、札幌五輪なんてもってのほかである。一時的な経済効果を謳ったところで終わった後の負担のほうが大きければ自分で自分の首を絞めるようなものである。昔とはもう時代が違うんだよ、オリンピックなんかやりたいところにやらせておけばいいんだよ。オリンピックに使う金があるなら他に回せと言いたいが、お祭り好きな人からしたらなんてこと言うんだ、オリンピックはなくてはならないものなんだと思っているんだろうね。
さて明日からの相場どうなるかね、行方はもちろん分からないが、ボラが大きいのは間違いないだろうから、トレードチャンスには事欠かない週になりそうだ。チャンスの意味は本来は機会であるが、日常的には好機と解されていて、行動を起こせばいい結果になる可能性が高いというふうに思われることが多い。世間一般の事象においてはそう考えてもいいだろうが、トレードに関してはそう考えていると手痛い結果になる可能性が高くなる。確かにボラは小さいより大きい方がいいというのは誰もが思うことであり、それ自体は間違いはないのだが、勝てるか負けるかはボラとは関係のないことである。以前はボラが大きくなるとチャンスだとばかりにトレードしたものだが、いい結果になったという記憶はない。今はボラが大きいからと言ってトレードするということはなくなった。このことからすると少しは進歩したんかなと思っている。
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