宗教団体

 極めて独断と偏見に満ちた個人的意見であるが、宗教団体なるものは必要のない集団であると思う。なぜ宗教団体が存在するのかと言えば人の心の弱みに付け込んで金儲けしてやろうとする人間がいるからである。心の強い人間ばかりであれば宗教団体が生じることもないだろうし、生じたとしても大きくなることはないだろう。だが悲しいかな世の中には何かに頼らなければ生きていけないと思う人たちが多くいるので、それらの人たちをターゲットにして金儲けをしてやろう、少し過激的な言い方をすればそれらの人から金銭をむしり取ってやろうとする輩が現れる。そして精神的に弱っている人、落ち込んでいる人はいいカモにされるのである。人間である以上何かに頼りたくなる気持ちはだれにでもあるから、別に精神的に弱い人でなくても信仰心は持ち合わせていることが多い。問題はその気持ちをどこに向けるのかである。別に宗教団体等に入信しなくても自分の気持ちを平穏に保つことはできると思うのだが、何か特別な教祖、神様的な存在を求める人たちはそういった団体を探し求めて自らどっぷりと沈んでいくことになる。宗教団体のすべてが金儲けに走っているとは言えないかもしれないが、ほとんどの団体がそうであることに異論はないだろう。でなければ「寄付しろ」、「壺買え」と呪文のように唱えないはずだ。私には宗教団体は詐欺集団であるという持論がある。やってることは詐欺師と一緒だからである。つまりオレオレ詐欺に引っかかるのも宗教団体に入信するのも同じであるということだ。どっちも金を毟り取られるんだからそりゃ一緒だろ。いや、オレオレ詐欺のほうがまだマシなように思える。オレオレ詐欺は一度引っかかれば二度目はまず引っかからないが、宗教団体は寄付、お布施等の名目で何度となく金をせびられて気付いたら素っ裸にされていたということになりかねないからである。偏見かもしれないが記者会見に出てきた例の団体トップの顔が私には詐欺師に見えて仕方なかったよ、いかにも詐欺師という顔をしていたからね、他の人がどう感じたかは知らないけど私には少なくともそう見えたよ。じゃあ何か心のよりどころを求める人はどうしたらいいのか? 私なりの答えは日本人なら天照大神を神と崇めて神社参拝し、先祖を敬う気持ちを忘れずに仏壇に手を合わせていれば十分であり、これ以上のことをする必要は何もないということである。金が掛かるのは神棚に供える榊代と仏壇の線香代だけの月数百円である。これで家庭が崩壊した挙句人を恨んで殺すなんてことはあり得ないだろう。


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